コラム
2026/02/27
【大阪船場さんぽ】シャープファイナンス大阪拠点のある船場を歩く
公開日:2026年02月27日 更新日:2026年02月27日

そのランドマークである大阪国際ビルディングに、シャープファイナンス大阪拠点はあります。1973年竣工・2016年リニューアルを経たこの32階建てのビルを起点に、秀吉の時代から続く商都の記憶と、「大大阪」と謳われた大正・昭和初期の栄華、そして今も息づく船場の矜持を本稿で辿ります。
御堂さんの鐘の音が聞こえる場所で
「御堂さんの屋根が見えるところ、暖簾を張りたい」——江戸時代の大坂商人たちは、こう言って船場に店を構えることを誇りとしました。御堂さんとは、北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)のこと。この二つの寺院はいずれも16世紀末、秀吉による船場の都市整備とほぼ同じ時期に創建されており、商都の産声と同い年の存在といえます。
ふたつの御堂を南北に結ぶ道が、大阪のメインストリート「御堂筋」の由来です。とはいえ以前の御堂筋は幅わずか6mの細い道でした。現在の幅44mの大通りに拡張されたのは昭和12年(1937年)のこと。「船場の真ん中に飛行場でもつくる気か」と市民が肝をつぶした逸話が残るほどの大工事だったそうです。この拡幅によって船場は東西に広がる問屋街から、御堂筋という南北軸を持つ国際ビジネス街へと生まれ変わっていきます。
『浪華名所獨案内』天保年間 ⽯川屋和助/関⻄⼤学図書館蔵(部分)から見る現在。地図は左が北 ※注釈筆者
秀吉が描いた商都の設計図
船場の歴史は、1583年の大坂城築城に始まります。豊臣秀吉は城下町経営のため、堺から商人を移住させ、のちに伏見商人、平野商人、そして江戸時代中期には近江商人が加わりました。東西の「通(とおり)」23本と南北の「筋(すじ)」13本が交わる碁盤目の街区は、当時の都市計画の粋を集めたものです。船場の範囲は、冒頭で述べたように北は土佐堀川、東は東横堀川、南は長堀通(旧長堀川)、西は阪神高速道路(旧西横堀川)に囲まれた南北2.1km、東西1.1kmの区域。この限られた空間に、天下の台所を支える商業機能が凝縮されました。
各地から集まった商人たちは、独自の言葉文化を育みました。それが「船場ことば」です。大阪弁研究家の前田勇は「船場言葉は、いうべくば貴族的以外の何物でもない」と評しています。商いという職業柄、丁寧かつ上品な言葉遣いが求められたため、京言葉、とりわけ御所言葉の表現を多く取り入れました。興味深いのは、「京都よりも船場の方が、生粋の公家言葉が受け継がれた」という説です。御所のお膝元である京都は、武家の影響で「奥様」「お嬢様」といった旗本言葉も混在しましたが、船場は商人の言葉として純粋に公家言葉を洗練させました。主人の妻を「ごりょんさん」、長女を「いとはん」、末娘を「こいさん」と呼ぶのが一番有名でしょうか。
「おいでやすにごめんやすは蔵が建つ」——客が「ごめんやす」と言う前に、店が「おいでやす」と声をかけるような店は繁盛する、という商人の美学。こうした言葉たちは、谷崎潤一郎の『細雪』などに美しく記録されていますが、今や消滅危惧の文化遺産となっています。
『浪華名所獨案内』(全体)天保年間 ⽯川屋和助/関⻄⼤学図書館蔵※緑着色が船場(筆者)
南北ではなく、東西が上下になっているのは御所の方角を上に持ってきているため
だし — 船場を支えた「始末」の美学
船場(ひいては大阪・近畿圏)の食文化を語るとき、欠かせないのが「だし」です。1781(天明元)年創業の神宗は、塩昆布の老舗として船場の食を支えてきました。当初は靭町で海鮮問屋として始まり、のちに雑喉場(ざこば)魚市場の一角に店を構えました。塩昆布を炊き上げる際の出汁は、昆布・鰹節・煮干しを丁寧に引きます。何代にも渡って愛される味の背景には、関西だし文化の真髄があります。
また「船場汁」は、船場を象徴する郷土料理です。塩鯖の身を食べた後、頭や骨、あらを使って大根とともに煮た潮汁。魚を余すことなく使う「始末の料理」——ここでいう「始末」とは、倹約を意味する船場商人の美徳です。大根の葉も捨てずにふりかけに、鰻の頭も、鱧の皮も刻んで酢の物にします。無駄を嫌い、素材を活かし切る。それは単なるケチではなく、洗練された経営姿勢にも通じる合理性でした。
船場の商家では、朝夕は茶漬けと漬物、昼が一汁一菜という質素な食事が基本で、月に2回だけ魚が食膳に上がりました。その魚の「あら」まで活かした船場汁は、忙しい商家で時間をかけずに作れる工夫でもありました。鯖のだしがしっかり生きた上品な味わいは、質素の中の洗練を体現しています。
※商家の食卓に上がったものであり、お店で出しているところは少ないですが「センビル」こと船場センタービル9号館の「SEMBAかつら亭」船場汁定食でいただけるとのことです
建築 — レトロビルに刻まれた大大阪の記憶
大正から昭和初期、大阪が「大大阪」と呼ばれた時代、船場には次々と近代建築が建てられました。驚くべきは、その多くが今も現役で使われ続けていることです。
船場の中でも代表的なものが次の三棟です。

これらのレトロビルは、大阪国際ビルディングから徒歩10~15分圏内に点在し、街歩きの楽しみを提供してくれます。
知の系譜 — 江戸から明治へ、船場が育んだ学びの伝統
船場の教育への情熱は、江戸時代末期に遡ります。
北浜三丁目、オフィス街に突如現れる江戸時代末期の町家建築——それが適塾(適々斎塾)です。1838(天保9)年、蘭学者・医師の緒方洪庵が開いた私塾は、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内、佐野常民、高松凌雲ら、幕末から明治維新にかけて活躍した著名人らを含む総勢1000名を超える門下生を輩出しました。洪庵は種痘の導入、コレラ予防などで功績をあげ日本近代医学の礎を築き、また医学のため学ばれたオランダ語を通じ伝えられる「世界の最新知識」を学ぶ総合教育機関へと発展し、のちの大阪大学の前身となります。
左脇道からのぞいてみても、意外なほど奥行きのある建築史跡・適塾。日中は建物内部の見学もでき、
幕末当時の町屋やその暮らしを今に伝える国の重要文化財です。
その適塾の隣に佇むのが愛珠幼稚園(1880年創立、現園舎は1901年竣工)です。創設者は船場北部の連合町会——船場の商人たちが私財を出し合って建てた幼稚園でした。園名の「愛珠」の意味は「主人花を愛すること、珠を愛するが如し。幼子もまた掌中の珠として愛する」と説明されており、これは命名の藤澤南岳(儒学者)が白居易の詩篇より「掌珠」(掌中の珠=愛しい我が子)の語を敷衍したと考えられます。当時の船場商人の学識の高さ、文化リテラシーを伝える園名ともいえるでしょう。
現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古のこの建物は、御殿風の格調高い外観を持ち、遊戯室には格天井とアールヌーボー風のシャンデリアが今も残ります。2007年に国の重要文化財に指定され、現在も大阪市立幼稚園として現役で使われています。
適塾が育てたのは時代を切り拓くエリートたちでした。一方、愛珠幼稚園が目指したのは、すべての子どもたちに質の高い教育を届けること。この二つの建物が隣り合って現存していることは、船場の学びへの思いが江戸から明治、そして現代へと連綿と続いていることの証とも言えます。
大阪市立愛珠幼稚園/中の見学は年に1回程度の不定期だが外から眺めるだけでも、庶民の子どもたちに
「本当に良いもの」に触れつつ育てるという、商人たちの本気が伝わってくる。
一方、冒頭で触れた北御堂(本願寺津村別院)は、1597(慶長2)年に創建されました。浄土真宗本願寺派の大阪における拠点として、江戸時代から船場商人の信仰を集めてきました。第二次世界大戦の大阪大空襲で伽藍は全焼しましたが、1964年、岸田日出刀の設計により鉄筋コンクリート造の近代的大殿堂として再建されました。岸田は、弟子の丹下健三を世界的建築家に押し上げたことで知られる建築家です。境内南西には系列の相愛中学校・高等学校および相愛大学本町学舎があり、船場の教育文化を今に伝えています。
丹下の代表作である国立代々木競技場と同じ 1964 年に完成した現在の北御堂。
船場の信心が現代を生きるからこその、近代建築の形ともいえる
現代に息づく船場の矜持
高層ビルが林立する現代の船場は、一見すると往時の面影を失ったかに見えます。しかし、碁盤目の街路を歩き、レトロビルの意匠に目を凝らし、適塾の静謐な空間に身を置くとき、ここに脈々と受け継がれてきた文化の厚みが立ち上がってきます。それは派手な観光地にはない、この街に生き続ける大阪船場の美学です。「始末」の精神、品のある言葉遣い、教育への情熱、建築への矜持——船場が育んだ価値観は、今もこの街に静かに息づいています。
高層ビルのビジネス街を歩く人々の足音のなかに、御堂さんの鐘の音が響いている。そんな光景を浮かべながら、船場を散策してみてはいかがでしょうか。
タイトル看板画像引用元:「浪花大湊一覧」五雲亭貞秀画 丸屋甚八版(文久3年/1863年)神戸市立博物館蔵
【おまけ・船場 食べ歩き案内】
老舗の味を継ぐ
「本家柴藤」:享保年間の創業、八代将軍吉宗が愛したという300年の鰻の老舗。上方落語にもその名が呼ばれます。飯の間に鰻を挟んで蒸す「間蒸し=まむし」は大阪鰻の代表。
「吉野寿司」:創業天保12年、大阪の箱寿司の代名詞でありつつ「吉野鯗(すし)」の字にも老舗の思いが込められる。「2寸6分の懐石」とも呼ばれる美しい箱寿司は一度は味わいたい。
船場レトロビル
登録有形文化財の芝川ビル内には、本格チョコレート専門店「TIKAL by Cacao en Masse」やスペシャルティコーヒーの「Mole & Hosoi Coffees」などが入居。昭和初期の重厚な建築空間で、洗練された一服を楽しめます。
「isolata」(イゾラータ):一階のアプローチの奥、更に先の扉の芝川ビルハナレ。リノベーションされた木造の広い空間と美しいイタリアンが待っています。
新しい船場の味
「賽(サイ)」:若い人にも入りやすい、阿波座の燗酒メイン小料理屋。関西から山陰、西の酒の選びが楽しめる。
「ショコラトリー ココ」:ボンボンショコラ専門店。約30種類のボンボンショコラには、大阪の地野菜も季節により使われていて楽しい。営業はサイトで事前確認を。
「TEMARIYA(てまりや)」:朝8時から手まり寿司のような小さく色とりどりのおにぎりを販売。朝食、お昼ご飯や小腹埋めに。夕方からはBAR営業と残業対応弁当も準備。
※セレクトは編集の独断です
提供:ⒸイツトナLIVES/シャープファイナンス
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